ダウンタウンの番組に以前、松本人志の家族がちょくちょく顔を出していた。とりわけ、 兄の隆博さんは歌を披露するなど存在感をアピールしていたが、最近はあまり見かけない。 隆博さんは今、どうしているのか。
■弟・人志の話だけで続けてはこれられない
隆博さんに会ったのは、埼玉のとある県立高校の会議室。つい先ほどまで、体育館で 70分間の“講演コンサート”を行っていたのだ。
「高校、中学、小学校、それに幼稚園にも行きますね。年間50回くらいでしょうか。 企業や各種イベントを合わせると、全国で年200回ほどになります。『働くって何?』 『なんで勉強せなアカンの?』『生きるとは?』といったことが主な演題です」
なかなか壮大な話だが、きっかけは何だったのか。
「2008年に『松本兄のng』というエッセー集を出版しましてね。その本のテーマが 働くって何……だったんです。だから、最初は本の内容に沿って話をしていて、合間に 自作の歌を1、2曲くらい入れていました。それが、最近はもっと歌を増やしてくれと 言われるようになって、今の講演コンサートという形になったんです」
隆博さんは、08年にシングル「お母ちゃんの言うとおり」でメジャーデビューした 歌手でもある。講演コンサートではフォークギターを弾きながら、家族愛や人生を テーマにしたメッセージ性の強いオリジナルソングを歌っている。
講演のトークには弟・松本人志の話題も入れる。
「みんなが人志の話を期待してるのはわかってますから。でも、人志の話だけで 8年も続けてはこられません。サービスで話してるのは聞いてもらえばわかるし、 人志も“オレの名前を使うて軽い気持ちでやって”とは思ってない。『弟の七光』という声は、 時間が解決すると思うてます」
最近は兄弟で見かけることは少ない。今でもたまに会ったり、一緒に食事をしたりしている?
「いや、ないですね~。直近で言うと、おやじが亡くなった2年前かなあ。人志は 30~40分で行けるくらいの場所に住んでますけど、お互いに家庭を持ってるし、 忙しいからね。もっともボクは最近、離婚しましたけど……」
■銀行などに勤めた元サラリーマン
さて、隆博さんは兵庫県立尼崎北高校を卒業後、大阪電気通信大へ進学。NSC (吉本総合芸能学院)から、お笑い芸人になった弟とは違い、銀行などに勤めて 堅実なサラリーマン人生を歩んだ。25歳で結婚。2男1女をもうけている。
40歳の年に単身赴任で上京。42歳でITベンチャー企業「ヒューマックス」を 立ち上げたが、09年に退社した。
「当初は、ライブ活動と会社の二足のわらじで頑張ってたんですが、赤字になって しまってね。責任を感じ、どちらかを選ぶことになって、会社を人に譲ったんです。 子供の頃から素人の出る歌番組なんかに出て、芸能の仕事が好きやった。でも、長男やから、 親が喜ぶ進路を選んだんやと思います」
今は「55歳まで生きてきたから、いろいろやるんですわ」と隆博さん。講演や ライブ活動のほか、母校の大阪電気通信大などで特別講師、楽曲提供から企業の コンサルティングまでこなす。
3年前に関西に戻ったが、15年1月に活動の利便性を考えて再上京した。
「全財産をはたいて、世田谷のマンションを買いました。高かった? そら、高いよ。 でもボク、記者さんが思うてるよりは稼いでますよ、ハハハ。まあ、人志はボクの年収の 100倍やと思いますけど。対抗心はありません。人志は飛び抜けてるし、芸歴は29年。 ボクは8年です。比べんといて(笑い)」
そんな隆博さん、バラエティー司会から“ご意見番”のポジションまで固めつつある弟・ 松本人志をどう見ているのか。
「いらんことを言ってしまったら足をすくわれる。でも、人志らしい新しい切り口で しゃべらなあかん。だから、言葉を選んでコメントしてるのがわかる。すごいなあ、と思って 見てます」
優しいお兄さんだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170109-00000001-nkgendai-ent
「七光り」言われてまうわな。
こういう人らは一生それがつきまとうんだから、ある意味可哀想なもんよ。
別に七光り言われるほど、テレビにしょっちゅう出てるわけでもないし、松ちゃんの
番組に呼ばれてるわけでもないやん