https://r.nikkei.com/article/DGKKZO27917170Z00C18A3TM1000?s=1
1995年9月4日、沖縄のキャンプ・ハンセンに駐留する米海軍軍人と米海兵隊員の計3人が商店街で買い物をしていた12歳の女子小学生を車で拉致し、近くの海岸で暴行した。
沖縄県警はすみやかに逮捕状を請求したが、日米地位協定では「起訴に至らなければ米兵の身柄を日本側に引き渡すことができない」と定められていたため、
実行犯3人の身柄は日本側に引き渡されず取り調べできなかった。
これが引き金となり、沖縄県民の間で反基地感情に一気に火がついた。
大規模な抗議集会が開かれ、沖縄に集中する米軍基地への不満や、日米地位協定の見直しを求める声が高まった。
日米両政府は米軍基地の整理・縮小を協議する特別行動委員会(SACO)を設置。96年に普天間など11施設の返還を決めた。