<一人で歩いていた><夏は列車の窓からやって来て>
2017年5月27日で10回目の命日を迎えるZARDのボーカル・坂井泉水さんの創作ノートには短文、
長文、単語……がぎっしりと書き込まれている。
タイトルに「Love & Peace」と記されているのは、導入部の内容から1999年にリリースされたシングル曲 「痛いくらい君があふれているよ」の原型だろう。最終的な歌詞にたどり着くまで、悩み、迷い、考え抜かれた跡がしのばれる。
「思いついた言葉を常に書き留めるように、デビュー時から指導していました」
そうふり返るのは、坂井さんが所属したレコード会社でマネージメントオフィスのビーイングの創始者であり、 現在はオーナーで、総合プロデューサーの長戸大幸氏。
「ノートに書き留めた言葉は、歌詞の体を成していない状態です。ほんのひと言や、メモのような走り書き、 数行の文章、数ページにわたるエッセーなどが、曲と巡り合うことによって歌詞になっていきました。 それはどんどん増えていき、いつのまにか彼女がキャリーバッグに詰めて持ち歩くほどの量になりました」
その長戸氏との出会いが、シンガー・ソングライターとしての坂井さんのキャリアのスタートになった。
最初は1990年8月。場所はビーイング所有のレコーディングスタジオであるスタジオ・バードマン。
この日はアニメ『ちびまる子ちゃん』のテーマソング「おどるポンポコリン」が既に大ヒットしていた
B.B.クイーンズのコーラスのオーディションが行われていた。
「どんな音楽をやりたいですか?」
長戸氏が訊ねると、坂井さんは即答した。
「ロックです。浜田麻里さんやアン・ルイスさんのような、メロディーがはっきりしていて、
カラオケでも歌えるようなロックがやりたいと思っています。カラオケではテレサ・テンさんの
『別れの予感』や高橋真梨子さんの『for you…』をよく歌っています」
そう言ってその時は、アン・ルイスの「六本木心中」とテレサ・テンの「つぐない」を披露した。
長戸氏が記憶を手繰り寄せる。(以下ソースで)
dot. 5/17(水) 11:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170516-00000095-sasahi-musi&p=1
画像 本連載で初公開する坂井さんのショット
青山葬儀場行ったなぁ
今醜態を晒してる奴らと違って年取ってからも第一線で活躍できる女性歌手だったろうになあ